星野一義氏の思い出8

ル・マン24時間耐久レースで表彰台を獲得した後、国内のGT選手権に参戦していた。

マシンはニッサンスカイラインGT-R
通称カルソニック・スカイライン。
パートナーはナンバーワンドライバーの座を譲り渡し、影山正美→本山哲→田中哲也と変わっていった。

良いレースも悪いレースもあったが、結果を残せたのは2000年のMINEサーキットでの優勝のみ。

重く大きなエンジンと車体はライバルチームの車両より劣勢に立たされていた。
32GT-RはグループAカテゴリーで勝つべくレギュレーションで最も有利な2600ccの排気量にツインターボと四駆で武装し無敵の速さを誇ったが、参戦カテゴリーとレギュレーションが変わり34GT-Rは苦しい戦いを強いられた。

速さを求める改良もされたし、ピットインの時間を最小限にするようにタイヤ交換はどのライバルチームよりも速くなる努力がされた。

しかし、ナンバーワンドライバーの座を譲り年々星野の乗る回数が減ってくる。

マシンのセッティングはナンバーワンドライバーがし、星野は規程の周回数を走るだけのようになってきた。

そして、2002年のシーズン途中に星野一義氏はドライバーとしての引退を決意した。

それは、ちょうど最後のレースで改良型の34GT-RがGT-Rの心臓RB26DETTを捨ててV6エンジンを搭載して出たが、星野にとっては引退を延期する動機にはならなかった。

引退会見の事は改めて記事にするとして、別の機会に下記の話をしていた。

予選でトップのタイムとコンマ5秒遅いと意欲が出ないし、1秒も遅ければ乗る意味は無い。
遅いドライバーの首を自分自身が切ったまで。
と言っていた。

確かに、自分で自分を首にするしか周りでは決断できなかっただろう。

16歳家出同然で飛び込んだモトクロスの世界。
四輪に移行し長く日産自動車と契約しワークスドライバーとして活躍しいくつもの優勝とチャンピオンを獲得した。
怪我なく引退できた事に一ファンとして感謝している。

これからチームインパル(ホシノレーシング)として監督をする。

星野らしいスタイルで細かな話しはしない。
ドライバーは言い訳せず思いっきり走ること。
チームはドライバーが思いっきり走れる環境を作ること。

引退しても星野一義は変わらず星野一義だ。
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by urochiiko | 2014-11-10 05:31 | 日記


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