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星野一義氏の思い出5

1993年に星野はF-3000選手権で最後のチャンピオンを獲得した。
年齢45才。
恐らく、日本のトップフォーミュラーでこの歳になってチャンピオンを取れる人は今後もでないであろう。

また、周りのサポートあってのシーズンで今までの全てが星野中心のチームから組織的な役割の中に星野がいるようになってきていた。

それは、時代の流れでもあり円熟のピークを過ぎつつある星野を万全な体制で送り出したい金子豊の思いでもあった。

この頃になると、F1に送り出したドライバーはずいぶんと増えていた。
それは日本人だけではない。
日本に戦いの場を求めて外国人ドライバーが参戦していたのも含まれる。
なぜなら、日本でも活躍しF-1ではフェラーリのドライバーにまでなったエディ・アーバインのF-1初優勝を飾った公式優勝会見では星野に対する思いを語った。
記憶の範囲で要約すると
『ここに来るまでの道のりは簡単ではありませんでした。私は日本でレースをしていた時にミスターホシノというグレートドライバーと激しくバトルをしました。彼はとても速いだけではなく、勝利を掴む為の精神力が素晴らしくいつも見習い、そして中々勝たせてもらえませんでした。このような時期があったからこそ今の私がありミスターホシノに感謝しています』
と話し、同じレースで表彰台を飾り同時期に日本で同じレースを戦っていたハインツ・ハラルド・フィレンツェンが会見時に頷いていた。

また、各国のメディアは『ミスターホシノは何者か?』と話題になる程。

エディ・アーバイン氏がどうしてF1の公式優勝会見で星野の事を話したのかは知る由もないが、フェラーリのドライバー時代にハンガリーグランプリでフェラーリモーターホームへ星野一義氏を招待した事からも、その当時の思いが強いのだろう。
また、この時に星野は行き違いでフェラーリチームのモーターホームに入れるパスと違うのを持っていた。
ゲートが開かず、警備員と確認していたらエディ・アーバインが出てきて『彼は日本の偉大なドライバーで私に会いに来てくれた。通してくれ』と警備員に話したと言う。

1993年はレース人生後半に獲得した最後のチャンピオンではあるが、毎年出てくる若手ドライバーとのバトルはまだ続く…
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by urochiiko | 2014-10-15 06:53 | 日記


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