星野一義氏の思い出3

星野は、日産自動車の河合専務の英断で日産自動車契約のままホンダエンジンの供給をうけるようになった。

これで、トップフォーミュラーで周りと同じ土俵で戦えること。
ニッサンのル・マン(耐久レース)プロジェクトもいよいよポルシェに近づこうと意気込んでいた。
その年以降、国内で実施されたホンダF1エンジンテストの担当も受け持っている。

グループCカーはポルシェが黄金期でシャシーは956から962Cになった。
これは、前面衝突安全性を上げるレギュレーションに合致するようアクセルペダルをフロントアクスルより後方に置かれた。
ポルシェはワークススペックの排気量を上げBOSCHのモトロニック燃料噴射式を採用したり、ベースシャシーもアルミハニカムからセミカーボンモノコックに変更されたが旧態依然になりつつあった。

星野はポルシェ956を見たときに、これが普通に買える事に愕然としたと言う。
こんな精度の高い車を買える現実。チャンピオンになるだけを考えたらホシノレーシングでポルシェを買っただろうね。
と当時の事をインタビューで語っていたのを覚えている。

しかし、星野はニッサンのワークスドライバーだ。
ニッサンで勝たなければならない。

そんな時期に林義正氏が開発したVRH35と水野和敏氏が採用したローラR89Cが登場する。
ニッサンはヨーロッパチーム(NME)を立ち上げ世界耐久選手権(WSPC)に参戦し日本でも全日本耐久選手権(JSPC)に参戦した。

今まで、走ればトラブル続きでトラブルフリーだと燃費が悪く速く走れず予選の国産マシンと揶揄されていたのからようやく戦える感触をつかんだ。

しかし、全くのニューマシンにもトラブルはあったが十分な手応えを感じていた。

翌年の1990年にはニッサンのノウハウを盛り込んだR90CPを実戦投入する。

ドライバビリティの向上とエンジンにもさらに修正がされた。

いよいよル・マンで戦う環境は整った。

ポルシェは古いシャシーながらプライベーターに渡したワークススペックは相変わらずの速さを見せ、トム・ウォーキンショー率いるTWRジャガーと強力だ。

日本のバブル景気も後押ししてニッサン陣営はヨーロッパチームと日本のチームにアメリカチームを率いていた。

地元ル・マンでは予選のポールポジションをニッサンが取るのでは?と予想されていた。

ニッサンには予選用スペシャルエンジンが準備されていたが3チームの合意でこのスペシャルエンジンを使ったポールポジション争いはしない事になる。

しかし、予選終了間際にヨーロッパチームが予選用スペシャルエンジンを使ってポールポジションを獲得。

長谷見昌弘氏によれば、これでニッサンチームの雰囲気が最悪になったという。
ポールポジションを取れば喜ぶはずがニッサンチームはヨーロッパチームとアメリカチームのメカニックが殴りあいの喧嘩をする始末。

ここから、チーム間での情報の共有は皆無になり、同じトラブルを未然に防ぐ事もなくニッサンチームは自滅していく。

何とかコンスタントに走った星野組が当時日本車最上位の5位を獲得するも、後々星野からこの5位について語られる事は稀だった。

この後、翌年の1991年はSWCへの参戦回数が減りル・マンへの権利も無くなり湾岸戦争の影響でデイトナ24時間耐久レースにも出れず、日産自動車の方向性にもブレが出てル・マンへの挑戦は一端終了する。

しかし、せっかく開発したR90CPからR91CPに進化しR92CPの完成形は国内の耐久レースだけに出るには勿体ない戦闘力になっていた。

そこで、ニッサンとして1992デイトナ24時間耐久レースにR91CPで出場した。

練習走行から安定しトップタイムを刻む。

ポールポジションのタイムだがレギュレーション上2番手になるもニッサンチームの星野、長谷見、鈴木(利男)のコンビは最強のトリオ。

夜間、ワークス扱いのポルシェ962Cが驚異的タイムを刻むもマシンが悲鳴を上げてリタイア。

ここからは、自分達だけの戦いになる。
こうなるとトラブルが一番怖い。
っと思った矢先に、夜間でも水温が下がらない兆候が出ていた。

トラブルらしいものは見つからないし、バンクのついたコーナーからなるGが縦に来るのも関係ない。
あるメカニックは砂がラジエターに付着しているのを発見する。
どうする?どうやって砂を落とすのか?

定期的にビットインする際にフロントカウルを外しラジエターに水を掛けて砂を落とす事になる。

ライバルチームが脱落したがニッサンチームは万全の体制で24時間を走り続けようとしている。

星野も長谷見も走りきった安堵が見え始めた最後の一時間。
鈴木利男がドライブする中、クラッチとミッションの不具合が無線で入る。
何とかマシンを労る利男に星野から『これで止まってみろ。日本に返さないぞ!』と冗談混じりに利男のコンセントレーションが乱れないよう葉っぱをかけた。
終わってみれば無敵の強さを発揮したデイトナ24時間耐久レースだった。

しかし、どこかにル・マン24時間耐久レースで優勝したいと心残がニッサンチームにある。

バブル景気が崩壊し、レースレギュレーションが大きく変わった事もありニッサンチームは優勝を狙うル・マン挑戦をしばらく出来ない期間が続く。
a0293308_19221352.jpg

a0293308_19224620.jpg
a0293308_192313100.jpg
a0293308_19233615.jpg

[PR]
by urochiiko | 2014-10-03 05:53 | 日記


<< ピエール・スパー アルザス リ... ドミノ シャルドネ2012 >>