私はレーシングカードライバーの星野一義氏を応援していた。
その走り続ける魂。 勝利への執着心…。 過去に、日産契約のままホンダF1エンジンテストをウィリアムズ・ホンダのマシンでしていた事。 ル・マン24時間耐久レースに『最後のル・マン』と名打ってNISSAN・R390GT-1で表彰台を獲得した事を書きました。 今回はGroup-Aと言うカテゴリーにニッサン・スカイラインR32GT-Rで出場していた話し。 知っている方なら、青いカルソニック・スカイラインは伝説のマシン。 アテーサの四駆を逆利用した縁石跨ぎの豪快な走りや予選での驚異的アタックなど懐かしくも強烈な印象が今でも残っているでしょう。 そして、それを裏付けるように予選の前にある練習走行ではナンバーワンドライバーの星野を中心に色々な試みがありました。 中でも一番印象に残っているのは四駆のGT-Rでドリフト走行だろう。 アテーサの四駆は基本的にドリフトに向かない。 なぜならドリフトが始まると前輪の駆動比率がリニアに上がるから。 それでもパワースライドさせながらコーナーを駆け抜け、シケインを不得意とする四駆をカバーするため大きく縁石を跨いでいた。 いつの、どのレースだったか?までは覚えていないが… そのR32GT-Rを豪快にドリフトしながら走行していた。 これは、当時テレビで録画中継がされておりインタビュアーはそのレースに同じくR32GT-Rを走らせていた土屋圭一氏。 記憶の範囲を思い出し要約すると土屋圭一氏が『見事ポールポジションを獲得した星野選手です。星野さん、練習走行では珍しくドリフト走行をしていましたね。ドリフトなら私も得意ですがGT-Rでドリフトを練習走行でした意図はなんでしょうか?』 すると、星野から余裕の返答が 『四駆だろうがマシンが決まっていればなんでも出来るよ!あれはね、タイヤが磨耗したレース中盤にどんな状態にタイヤが働くか確認したくてドリフトしたわけ。圭ちゃんみたいなパフォーマンスは僕には向かないから(笑)』 すると土屋圭一が 『練習走行の時点でレース中盤のシュミレーションまでしているのですか?』 と呆気にとらえていると星野は続けて… 『色々出来るときは、どんどんチャレンジしないとね。これで明日もブッチギリます』 このような会話だったと思う。 テレビではピースサインをしている星野と呆気にとられて、これは敵わないと顔に出ていた土屋圭一を思い出す。 また、別のレースでも土屋圭一のインタビューで駆動配分について質問があった時も土屋の走らせるGT-Rより前輪に駆動がいっていたようで『星野さんの強さのをこれからも探ります』とインタビューが続いた事もあった。 参考までに、当時のR32GT-Rはニューボディとパーツを買える優先順位はあったがエンジンは平等になるよう日産工機(REINIK)が組み上げたものをくじ引きで決めていた。 当時、学生だった私にホシノインパルにいたK氏が『エンジンはパワーあるからくじ引きでやってもやらなくても変わらないよ。 それより車体をどう強化していくかだから。ほら、ニスモチームが出てきてもうちと長谷見さんが早いのはデビュー戦から出ているから最新のボディと技術やパーツがはいり、そこにドライバーの力があるからね!』 と教えてくれた。 確かにホシノレーシングとハセミモータースポーツはニスモチームを差し置いて裏ワークス的扱い。 他のチームからも『我々は待遇が違うから…』っと。 速く強いドライバーには良いマシンとチーム体制が整う競争の原理。 円熟し始めた星野の黄金期である。
by urochiiko
| 2014-09-24 05:42
| 日記
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