ルイ ジャド Louis Jadot

何度か記事にしていますが、ルイ・ジャドについて興味がある方がおり違う切り口で紹介します。

尚、文章はインポーターの資料を一部参考にしています。


ルイ ジャド社は1859年に創立した、ブルゴーニュでも有数のネゴシアン兼ドメーヌ。
それまでは、葡萄栽培農家だった。

1962年にルイ・オーギュスト・ジャドが死去した後、マダム ジャドはジャド家に後継ぎが少ないことからルイ・オーギュストの片腕だったアンドレ・ガジェに会社の将来を託し、株式はアメリカの正規輸入元コブランド社が筆頭株主になる。

今日ではアンドレ・ガジェの息子であるピエール・アンリ・ガジェが、社長として運営にあたり醸造はかのジャック・ラディエールが手腕を長年発揮していた。

1998年に本社はボーヌのサミュエル ラジェイ通りからウジェーヌ スピュレール通りへと移転し、1500平方メートルの広さを持つ地下セラーは、隣接するジャコバン修道院の地下へとつながっている。
このすぐ近くにはルモワスネ社も構える地である。

ルイ ジャド社はネゴシアンとしてブルゴーニュ ワインの取り引きにかかわる一方、コート・ドールに105ヘクタールのブドウ畑を所有する大ドメーヌでもある。


ドメーヌはその所有形態に応じて、ドメーヌ エリティエ ルイ ジャド(ルイ・ジャド家が所有)、ドメーヌ ルイ ジャド(ルイ・ジャド社が所有し以前のクレール・ダユの区画もそう)、ドメーヌ ガジェ(ガジェ家が所有)、ドメーヌ デュック ド マジェンタ(マジェンタと協力して大半をルイ・ジャド名義で販売)などに分かれ、それぞれワインのボトルに明記されている。


自社畑の範囲はジャヴレ シャンベルタン村からサントネー村のクロ・ド・マルトまでのコート ドール全域にわたり、かつてのクレール・ダユ(画家だったか?)のジュブレ・シャンベルタン、クロ・サンジャック。
クロ・ヴージョなどは以前メゾン・シャンピーが所有していたが一時期メゾンを買収した際に畑だけはルイ・ジャド社が引き継いだドメーヌの区画である。
(注)ネゴシアンクロ・ヴージョもありこれは中腹に1ヘクタール所有する栽培農家と長期契約をして全量がルイ・ジャド社のワインになっておりクロ・ヴージョは2種類存在し他にもエシェゾーやシャンベルタン、コルトンの特級などはドメーヌとネゴシアンワインがある。

近年もサヴィニーのドメーヌに後継ぎがいないため区画をルイ・ジャド社が所有した。
ボーヌ プルミエ クリュ ヴィーニュ フランシュ(これぞ葡萄の意)の一部であるクロ デ ズールシュールは、2.2ヘクタールのモノポール(単独所有畑)として有名。17世紀から知られる銘醸畑で、1826年まだ葡萄栽培農家にすぎなかったジャド家が買い同社創業時から所有する由緒ある畑として大変有名。
1996年にはボージョレ地区の最上の作り手シャトー デ ジャックを入手した。
ネゴシアンとしても販売するが、コート ドール地区にいるグローワー(栽培農家)と長期契約をしてルイ・ジャド社向けに作られており一般的なネゴシアンとは明らかに違う。



ルイ・ジャドのワイン醸造の責任を担ってきたのは、先にも書いたジャック・ラルディエールで1970年からルイ ジャドのワインに携わってきた彼のポリシーは、テロワールの個性を最大限引き出しポテンシャルのあるワインを作り続けてきた。
彼は引退を発表し、後任の醸造チームが発表された。
きっとこのポリシーを受け継いでブルゴーニュ最上のワインを作り続けるだろう。

ルイ ジャドー社の資本のもと、1996年、ラドワ セリニー村に樽製造会社カデュスが設立された。
ここでは樽材の乾燥(乾燥させるには数年が必要)から組み立てまで一貫した生産が行われ、オーク樽の品質を徹底的に管理することができるようになりより一層ワインを造る環境を内製し始める。
1997年の秋にはボーヌ郊外に、最先端の設備を備えた醸造施設が完成し先の樽を作る会社と合わせてルイ ジャド社のワインの品質をさらに高めることになる。
こうして作られるワインはどれを飲んでもルイ・ジャドの香りがする。

そして、投機的プレミア価格を付けた強気な販売もしない。
ロマネ・コンティ社のように何かを持ったワインではないがブルゴーニュを代表する素晴らしい生産者である。
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少し前にアメリカのオレゴン州にルイ・ジャド社が区画を取得している。
そしてこのワインの監修には長年ルイ・ジャド社を支えてきたジャック・ラディエールが行うという情報が入っている。
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by urochiiko | 2014-04-30 07:20 | 日記


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