プリューレ・ロックのワイン

アンリ・フレデリック・ロックは1988年にドメーヌ創立した。
ラルー・ビーズ・ルロワの甥にあたり、ラルー・ビーズ・ルロワがドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ社の共同経営者を解任され、後任者になっている。

インポーター資料に目を通すと、ラベルに描かれているロゴはエジプトにある古文書に由来し左側の緑色の包丁を立てたような模様はブドウの樹、下に描かれている3つの赤い丸はブドウの実、右上の黄色い楕円は神、右下の黄色い楕円は人を表していて、自然(神)と人間の両方によってワインを造り出すという彼の考えが表れている。
と言う事らしい・・・。

ここからは、自分の記憶・・・
ニュイ・サン・ジョルジュとヴォーヌ・ロマネにヴージョ村合わせて11ha所有し、ニュイ・サン・ジョルジュ・クロ・デ・コルヴェ(以前は全区画ルイ・ジャド社が所有していたのを購入)とヴォーヌ・ロマネのプルミエ・クリュの一部はドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ社が所有していた区画でロマネ・コンティ社はロマネ・サンヴィヴァンの借りていたマーレイ・モンジュ家の区画購入の際にプリューレ・ロックへ売却している。

樽についてはドメーヌ・ド・ラ・ロマネ コンティ社が所有する樹を購入して使っている。

以前、醸造責任者はフィリップ・パカレが行っていたのは有名。
一部でドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)の醸造責任者ベルナール・ノブレがアドバイスを・・・なんて聞くが真意は不明。

ちなみにドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)の醸造責任者ベルナール・ノブレの父もドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの醸造責任者を長年していたアントレ・ノブレ。

そのアンドレ・ノブレはカリフォルニアでロマネ・コンティを、目指して・・・と有名なカレラ・ワイン・カンパニーのジョシュ・ジェンセンを教えた人物であり、その翌年の行き違いでジェンセンがロマネ・コンティ社で研修できずローヌに渡ったのを後から聞いて、カリフォルニアの地にアドバイスに行ったのはロマネ・コンティ社のもう一人の経営者オーベル・ヴィレーヌ。

おおっと、話がそれてしまった。


プリューレ・ロックのワインは何度か飲んでいる。
最近では添付画像の2012年2月14日のクロ・ヴージョ2006
その前はニュイ・サン・ジョルジュ・クロ・デ・コルヴェ2003
更にその前はニュイ・サン・ジョルジュ・クロ・デ・コルヴェの若木から造られるニュイ・1(アン)だった。

どのワインも素晴らしい出来で、クロ・ヴージョはグラの強い将来性が非常に楽しみなワインだった。
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by urochiiko | 2013-07-01 07:45 | 日記


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